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仏教概論33(脳はすべてを記憶しているか)

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仏教概論33(脳はすべてを記憶しているか)

どこで読んだかももう忘れましたが、以前こんな話を見たことがあります。

”生まれたときからのことを私たちはすべて憶えています。
いえ、それどころかそれ以前からの、前世(以下略)。”

まあオカルトとしか言いようのないお話ですが、私、前段の部分だけは同意しています。
正確には「生まれる前(胎児期)から脳での処理は始まっている」というお話です。

もちろん出生後のように耳が聞こえるとか目が見えているわけではなく、様々な変動に対して常に反応していると言う意味ですが。

この段階で既に「生存に有利/不利」を基準に、データの情報化も始まっています。

この時特に意味をつけられない(生存の有利でも不利でもない)データや情報であれば脳は特にリアクションを示さずスルーです。
胎児の時は物理的な衝撃も化学的な変動も母胎によって基本減衰されるようになっています。
しかし限度を超えた圧力や、母体が危険と判断し内分泌系の急激な変動を伴う化学的ポテンシャルの変動に対しては、胎児の脳はこれを「不快な状況」とて振り分け、他の記憶とのリンクを作ります。
またそのとき生じた情動は、システム内での影響の結果が評価、記憶され、後々の反応に影響を及ぼし得ます。
もちろん母胎が「うれしい」と感じた変動も評価、記憶され、システムの土台、骨格が形成されてゆきます。

この時、特に中枢神経系においては可塑化による「神経核の成長促進/抑制」が盛んに起きています。
不快な信号が多く、強度もあるとき、これは「生存に対する脅威」としてシステムが反応します。
これはそのまま放置し、感じるままにしておくことによって、まだ発達過程にある各組織、特に脳神経系は重大なダメージを負うことが知られています。
これを防ぐ意味で神経核の反応を抑制することは、生体防御としては至極妥当だと言えるでしょう。
同時にセンターを縦に走る構造、ここで「自分は自分であり、他とわけられている」という感覚を(主に)生み出しますが、にこの情報を元にした「基本的な反応様式」の一部が形作られます。

ただし言葉が明確になる前の段階では、私たち特有の識別や記憶が十部に出来ていません。
当然胎児期においても同様で、何かを感じ、それを元に現在感じている「快・不快」の反応が作られていることまでは十分にわかっていても、それがどんなものであるかまでは一般化することが難しいのです。
ごくまれにそういった「記憶」を持つ人もいますが、多くは「なんでこんな衝動(=情動)が湧いてくるのかわからない」となります。

もうひとつ。
この「何だかわからない記憶」によって生じるサーキット(思考)は1つではありません。
脳内での反応は基本多数のサーキットが並行して稼働しています。
状況を処理するにはそうすることがもっとも効率的だからだと推測されます。
そのときもっとも注意を集中させる必要のあるサーキットが「意識」されます。
そしてその切り替えはわずかな数の神経細胞=インデックスのスイッチによって切り替えられます。
そのさまはまるで常時かみ合い式のトランスミッションのようです。

また神経細胞よりも体積の大きいグリア細胞は、単なる「つなぎ」ではなく、その内部で神経伝達物質や、スイッチとなるミネラルのコントロールを行っていることが判明しています。
神経細胞、あるいはシナプスにおける伝達物質だけでは説明のつかない高速処理、あるいは重複した反応群の背景になり得る機能が判明しつつあります。
これについてはまた機会があれば書いてみたいと思っています。

こういったメカニズムによって急に昔のことを思い出したり、気分が瞬時に切り替わることがあるのです。
この具体的なハンドリング方法については、現在心理学をはじめとした様々な考えかたが提案されているのでそちらを参照してみてください。

そのようにして私たちの「情動/記憶」はあらゆる刺激によって形成され、蓄積、利用されています。
原則「生存確率を上げる方向」に寄与しますが、中にはそれにブレーキをかけるように働くものもあります。
結果として様々な方向性が生まれてゆくわけですが、そのほとんどは「脳の機能」をベースにした説明と一致しています。

結論:人は生まれる前からの状況を概ね憶えている。
ただしここで言う「憶えている」の意味は「脳内での可塑性によって生じたサーキットとして保持されているが、意識できる≒言語化できているとは限らない」である。
また統一されない記憶は複数存在すると考えるのが妥当で、それらは常に並行して処理されている。
インデックスシステムによってサーキットは瞬時に入れ替わりうるが、神経細胞による伝達メカニズムだけでは説明がつかない部分もある。

釈迦は生存確率向上という至上命題によって生じる「瞬間瞬間の認知反応が脳に刻む反応様式≒意識現象」を理知(認知のバイアスがかからない認識から生じるロジック)によって徹底的に解体することを目指しました。
刺激は情動をつくり、記憶化される。
記憶は意識(注意集中現象)によって言語化されたのち分類され、私たちの「心(脳の反応様式)」を作る。
その結果生じた行動はこれを強化し、より一層「自分とはこのような人間である」という固定認識を密にしてゆく。
これが「苦」であり、主体という幻想を持つがゆえの結果であるとしました。
まさに上記のメカニズムを当時の知見ベースで正確に解明し、それを人に伝えていたのです。

当時としてはいろいろな意味でぶっ飛んだ人だったようですが、やはりすごいと思わざるを得ません。

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