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調えると言うこと

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調えると言うこと

私たちのような徒手矯正業において、その目的あるいはゴールと見なしているのは「最適化」であろうと考えます。
もちろん例外もありますが、大抵のケースにおいて「修理」よりは「調律」が得意であり、全体をなめらかに動かすために交通整理を行う感じでしょうか。
前稿治良の講義:再びでも書きましたが、私の治良では目的が「当たり前の状態への誘導」であり、そのために(システムを稼働させる力という意味合いでの)エネルギーの流れを調えるためにあれこれするわけです。
これも最適化の一種ですね。

さてこの中で「調える」という言葉が出てきます。
辞書で調べると「目指す状態に全体をよくまとめ上げる」とあります。
これに沿って私の治良を説明するなら

・システムに働きかけエネルギーの流れを最適化するため全体をまとめ上げる

となるでしょうか。

目的は最適化であり、それはエネルギーの流れを調えることによって達成される「べき」もので、そこに至る方法論は問わない。
結果として影響下にあるシステム、そして構造体の作り出す観測可能な機能の安定化がもたらされる。
今までしてきた説明の中で、おそらくもっともしっくりくる(自画自賛ですが)ものです。

さて話を表題に戻しますが、治良において「調える」とはどのようなものなのか、改めて考えてみました。

調える、を明確にするために、調っていない状態をまず考えてみます。
以下はあくまで私の感覚、感触を言葉にしてみた文章、とお考え下さい。

問題を抱えてきた人をみてみると、まず感触として一番先に感じるのは「硬い」です。
固いでも堅いでもなく、とにかく動きが感じられない、柔らかさが失われた結果の「硬さ」があります。
もちろん私たちが通常触ることの出来る肉体的な硬さではなく、それを動かし維持させているシステムの問題を私がそう感じている、と表現するのが正しいと思います。

では流れていてしかるべきそれらがなぜ硬い感触を感じさせるのか。
私が思うに偏りが生じ、それがいつまでも解消されずに残った結果、不必要なエネルギーのやりとりが起こってしまい、効率やなめらかさを欠いてしまう。
今のところ自分への説明としてはこれが一番ぴったりくるようです。

つまり私にとって調えるとは「必要なときに必要なエネルギーが供給(あるいは排泄)できる状態を常に即時即応的であるようにすること」と定義できます。
調っているかどうかは常に筋力検査や触診、あるいはイメージ上でしか確認ができません。
しかし訴えの変化と照らし合わせてみるに、人というシステムに対しては「正しい」アプローチであると言えます。

今まではこういった科学を参照できない考え方、表現を用いるべきではないと可能な限り避けてきました。
しかしながら現在行っていることが私の医学的な知識では十分に説明できなくなりつつあります。
また無理な説明を行った結果起きる「治良上のイメージの制限」を解除するためもあり、用語の用法を曲げつつも思うところをできるだけ内面に沿うように書いてみました。

自分のすべきコトに自分の出来るコトを近づけ、いつかは一致させる。
この稿がその第一歩で有れかしと祈るものであります。

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