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右脳左脳2

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右脳左脳2

21世紀に入り早20年近くが経とうとしています。
その間、脳科学と呼ばれる分野の進展は特にめざましく、私たちの「心」というものが実は主体ではなく単なる現象であることを明白にしつつあります(まだ確定はしていませんが)。
ただまだいくつかの誤解が残ってはいるようで、私も質問を受けることが少なくないもののひとつに「右脳は感性、左脳は理論」あるいは「右はアナログ、左はデジタル」という「誤解」があります。

実際の脳は、通常であれば右と左の半球は脳梁を通じて協働しており、どちらかだけが働くと言うことは(普通であればですが)考えられません。
これは感情的な人も理論派も、または男性も女性も関係はなく、ほとんどの場面において「右も左も全域が処理担当」と考えて良いでしょう。

90年代に始まったと思われるこの「誤解」は、次のような発生学的生理的な理由によるものと推測されます。

私たちの脳は胎生期においてまず右半球が優先して構築され、成長してゆきます。
以前にも書いたように、胎児は母体によって減衰されているとはいえ、外部の状況の変化による自身の変動を常にモニターしています。
物理的な圧力変化や、母親の内分泌系の変化などには特に敏感で、その変動が自分にとってどのようなものか、つまり危険か否かと言うことを傾向として判断しているのです。
この時言葉としてはもちろん記憶されませんが、そのときの情動的な変化はしっかりと記録されています。
右脳はこの「非言語的体験」をその内部に生涯にわたり残すと考えられています。

対して左の大脳半球は成長がゆっくりで、2~3歳くらいになってその本来の機能が出現してきます。
今この感じている感覚は、自分にとってどのような意味があるのか。
大雑把に言えばこのような「分析」を行い、言語化によってこれを効率よく整理整頓して蓄積する。
そして次の機会に、より成功確率が上がるような、あるいは失敗の確率が下がるような方法を模索しやすくする。
また内部での変化が自分の通常使用する回路(世界観)に合致するように(場合によっては力ずくで)解釈するのも左側の大きな仕事と言えるかも知れません。
有り体に言えば「自分に対して屁理屈をこねる」のも左側と言うことにもなります。

ただしパニック、警報システムが通常の処理を圧倒し必要な思考や行動が著しく制限された状態では右半球が強くイニシアチブを握ることがあります。
つまり極端に危険と判断されると、過去の記憶による緊急的な情動(思考に先立って起きる生理的な反射群)が私たち最大の武器であるところの「記憶に基づく予想」を使えなくすることがしばしばあるのです。

こういった事実は脳画像診断が発展してきてより確かなものであると認識されるようになりました。

余談ですが人類の大半は普通に生活していてもその脳内では常に忙しく情報処理が行われています。
眠っているときも、実は処理量そのものはさほど変わらないと考えられています。
ただし必要な情報を効率よく整理するために必要な「注意集中現象」、つまり「意識」は失われていて、言語化をはじめとする明確な認識、および記憶の整理は出来ていません。
またその間、多くの「不要」な記憶の刈り込みが行われており、睡眠不足が頭の機能を損なう理由がまたひとつはっきりしています。
日中意識という注意集中現象によって強化された記憶やそのサーキットは、そのほとんどが「役に立たない」と判断されるわけです。
言い換えると意識という現象そのものが「ノイズ」に他ならず、これらによって私たちの頭の中は役に立たない情報であふれ、混沌そのものに変容してしまうわけです。

閑話休題。

特定の仕事をするモジュールは脳内に「機能局在性」という性質を作り出します。
言語野が左半球のみに存在するのがその好例と言えます。
特定の部位の障害は特定の機能の阻害、あるいは消失につながると言った具合です。
しかしそのモジュールが特定の機能を発揮するためには他の多くのモジュールや領域と連携している必要があります。
これらの連携が失われても、直接傷害されていないモジュールの機能に制限が出て来ることも珍しくありません。

例えば左側が行う「右半球が感じていることへの説明、あるいはこじつけ」は、右半球の仕事を邪魔しているどころか、全体としてのエネルギー節約、あるいはよりスムースな運営を可能にするためには必須と言ってよい反応でしょう。
逆に右側が「非言語的なイメージの生成」を行うことが左側の言語化を邪魔しているという説は十分に正しいとは言えません。
言語化を行うに当たって、常にその源になっている「イメージ」は右側から生成されるものが大きく関与し、感覚器から取り入れられるデータとの整合性を図ることでより明確になってゆくと考えられるからです。

右脳左脳には明確な違いが存在します。
しかし、モジュールごとの機能ばかりに目がいってしまっては全体としてどのような方向性もって反応しているのかがわからなくなります。
そしてそれは自身の理解を誤らせることになりかねません。
治良のおいてはこれはとても重要なポイントとなります。

Mさん、以上が私の現在の見解です。

 

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