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「腰痛は脳の誤作動」説を考える

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「腰痛は脳の誤作動」説を考える

以前から「画像診断と腰痛、下肢痛の間には明確な関連性がないのではないか」と感じていました。
と言いますのも、画像診断でなにがしかの病名がつき、しかし治良をすると痛みや運動制限、筋萎縮なども改善するケースは珍しくありませんでした。
そしてクライアントは喜び勇んで医師の元へ赴き、再度画像診断をしてもらうと変化無し。
こんなことが頻繁にありました。

ただ私には厳密な病名をつける法的資格も知識も無いことから「そういうこともあるのか」と考えるにとどまるしかありません。

ところが21世紀に入ったあたりから「腰痛って、腰の構造問題なんかとは関係なく起きるんじゃないの?」という思いを抱かせる実験結果が数多く報告されるようになりました。
それは米国などで始まり、数多くのデータから得られた結果をさらにまとめ上げたメタ分析によって「科学的には腰痛と画像診断の結果には関連性がほとんど無い」という結論を導いていきます。
これにfMRIなどで脳の働きが連動していることがわかると、さらにこの意見は広く受け入れられるようになりました。
曰く「ストレスなどで扁桃体などが活性化すると痛みを感じやすくなる」というものです。
これに沿って作られたガイドラインも従来的なケアよりも、心理的な安定をもたらすものこそが正しいというものが増えています。
かくして現在、「腰痛は腰なんか触っても意味ないから」という空気が(少なくとも徒手矯正業界の一部で)蔓延し、イヤそういった意見が業界(の一部)を席巻していると言ってもよい状況になっています。

冒頭に書いたように私もそういった実感、腰の痛みは腰に原因はないと言う実感、を持っているので、部分的には賛同をします。
心理的な不安を取り除くことによって症状の改善がのぞめる。
ここに基本的な部分で異論はありません。
少なくとも私たちが扱う問題、痛みや不調感の多くは、こういった心理的な負荷が大きく関わっているのは経験上正しいと思うからです。

では現在古典的とされる当該部位へのアプローチ(痛い部位に対するマッサージやスラスト)はそんなに「意味」のないものなのでしょうか。
上記理論を裏付ける論文は多くが英語なので、私の英語力では半分も読むことができません。
なのでセミナーなどで聞きかじったこと、ネット上で読める範囲で読んでみた結果をベースに考えてみました。

以下は「重篤な病理を含む手技療法における禁忌状態(レッドフラッグ)」がないコトを前提とします。

そもそも何故ストレス状態(ここでは痛み減衰システムのエラー)になると痛みが発生しやすいのか。

まず痛みが発生しやすい部位、私でいえば左右の外腹斜筋、は何らかの形で傷んでいるとみるべきです。
私が昔教わったことの中に「損傷は微小血管においてもっとも治癒しづらい」というものがあります。
損傷にも色々ありますが、無理な動きを強要されたときに起きる引き延ばされる、筋の防御反射の限界を超えた動きのような、力によって起きたダメージは、即小血管にも及びます。
もちろん筋繊維も同時にダメージを負い、修復課程において筋肉痛という現象を経験するでしょう。
修復は筋繊維を太くし、炎症反応を神経は学習し、応答性も上がります。
しかし血管系は後回しになり、その薄くてもろい血管壁は少しだけ厚くなるように修復されます。

これが意味するところはなんなのでしょう。

元々小血管(毛細血管)は、赤血球ひとつも通り抜けられないくらいに狭い内径しかありません。
赤血球は圧力がかかると変形し、狭い血管内を通り、酸素を運びます。
わずかとはいえ厚くなった血管壁による内径の減少がもたらす弊害は小さくありません。
血管は自律神経のうち、交感神経により支配されています。
ストレスがかかる状況、つまりは交感神経が優位になり、コルチゾールの放出が多い状況下では、血管は収縮します。
微小血管は小なりとはいえこの影響を受け、血圧の上昇に対して相対的に内径が小さい状態になります。

健康な状態でもそもそも血液の通りが悪いのに、修復後の狭い血管内ではこれがもっと顕著になります。
つまりは酸素が届かなくなる率が高くなる、と言うことになります。

問題はこの先です。
酸欠になってもっとも動揺するのはどの組織かというと、それは神経系という答えになります。
特に未分化のセンサー(ポリモーダル受容器)がこの血流障害によって過敏になり、非侵害性の感覚も侵害刺激として中枢へ送り、結果的に痛みを感じやすくなります。
ストレスが小さいときは問題が無くても、緊急状態になって血管が酸素の要求量を運搬できないとき、意外と簡単に痛みが起きてしまいます。

そしてこれらのダメージは最新の機器でも(おそらくは)確認が出来ず、その評価ももちろん出来ていないとみるのが妥当でしょう。
これらは大昔はカウザルギーと呼ばれた神経損傷後疼痛や、交感神経性ジストロフィーなどと呼ばれた問題をひとまとめにした「複合局所性疼痛症候群」という名称で呼ばれるようになった問題のひとつで、普段は無症状なために無視されている問題とも言えます。

さてこういった「局所的かつ微少すぎて確認できない問題」がストレス処理過程において表沙汰になってくるようケースにおいて、その組織的なダメージを物理的な刺激で改善させようとするのは「アリ」だと考えます。
以前「脳の可塑性」について書いたことがあります。
いろいろな刺激によって脳が「変形」して、そのままだと戻らなくなる性質のことです。
上記のような慢性的かつある状況下で脳を刺激するような問題を抱えていると、脳の当該部位は当たり前のように「損傷なんて(ぱっと見)ないのに痛みを感じる」ようになります。
逆に適切な介入、刺激によって負の安定状態から脱出できた組織が伝えるデータは、神経系に対して変形(変成)の維持を強要しなくなり、その部分の興奮性はぐっと下がるはずです。
しかしこのような「壊れたところを手技で治す」には大変な技術が必要で、ただ揉めばいい引っ張ればいいと言うものではもちろんありません。
少なくとも私レベルでは筋力検査の助け無しには無理でしょう。

こういった事情が「腰痛にはマッサージ等は効果無し」とする結果を導いたものと推測します。
なにしろ術者の腕を完全に客観評価することは出来ませんし、被施術側のプロパティをそろえることも事実上無理です。

最新の研究やガイドラインは私たちの今まで考えもしなかった人体の真実や傾向、そしてより効率的なケアを私たちに教えてくれます。
ただ怖いのは「すべてがそうあるはずだ」という決めつけで、少し冷静になって考えればわかるようなことでも「無い!」と言ってしまうことは、生命というシステムを考える上で避けるべきことだと思います。

腰痛について、最近特にそう思うことが増えてきたので今回の稿をかいてみようと思いました。
ご意見お待ちしております。

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