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第六感

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第六感

「2012」と言う映画があります。
よくある終末論ベースのスペクタクルものですが、このベースになった終末論に「マヤ歴の終焉」というものがあります。
西暦で言うと2012年12月23日でマヤ歴が終わるというものですが、これはマヤ歴が私たちとは基本的なカウントの仕方が違うために生じた誤解です。
誤解というか思い込みというか、ともかくそういうのが好きな人たちがでっち上げたと言っていいような妄想に近い考え方だと言われています。

また翌日、12月24日からフォトンベルト(これもおかしなネーミングですが)に突入するとの話があり、これが人類終末あるいはアセンションなるよくわからない言い分に拍車をかけているようです。
フォトンとは本来光子のことですからこれらがベルトをつくることはあり得ません。
質量のない光子が群れて固まって移動するというのは、どう考えても無理があります。
また、肯定派によればプレアデス星団を中心に26000年周期で回っているとされているが、銀河中心に比べて遙かに小質量のプレアデス星団にそのような重力源がありその周辺を公転しているという事実は未だ観測されておらず、銀河系中心を2億年以上かけて公転しているというのが正しい。

そのほか突っ込みどころ満載ですが、とりあえずそれはこの稿の主題ではないのでおいておきます。

マヤ文明というのは高度な天文学をもち、またそれを利用して先々のことを予言していたらしいのです。
らしい、というのは私もただしく理解しているとは言いがたいのです。

で、本題ですがこの占いなるものに必要な「第六感」について考えて見たいと思います。

人間を数十年やっていますと大抵の人が「ん、何かわからないけどおかしい」と感じたことがあるのではないでしょうか。
勿論「そんなことはない」というケースもあるでしょうが、何か理屈では割り切れない違和感を感じ、それが結果的に“正しかった”という経験が、私には少なからずあります。

いわゆる「体が感じたこと」なのだろうと思っていますが、単純に利益不利益を判断する力は少なくとも私のなまくらな頭よりは高いようです。
ついでに言うとその判断は最終的な自身のイメージに忠実で、体あるいは無意識が望んでいる完成像に向けて必要であるものを取捨選択します。

ここが少しややこしいのですが、単純に近視眼的な利益によって誘導される判断ではなさそうなのです。
それ故に「勘が外れた」と嘆くことも少なくありませんが、実は少し長い目で見ると確実に利益になっていることも結構あります。

都合の良い解釈はできるだけしたくはありませんが、生半可な知識で判断するよりは最終的な損益分岐点で良い方向を選択していると感じるためには、経験に裏打ちされた「第六感」を無視するのは得策ではないように思います。

占いにしても治良にしても、一般化あるいは科学的理解が得られづらい、しかし確実に影響を及ぼす対象があり、それはほぼ間違いの無い再現性を持つ考え方は、術者の知識とは別に存在している「第六感」を通してみた世界観が大きく関与していると私は考えています。
ある人間を「みたとき」、治良屋である私の見解と占い師の見解が同じであることはごくまれでしょう。
しかしそれは(おそらく)同じことを別の言葉で語っているだけ、と言うことが考えられます。

別の側面、と言うこともあるでしょうが、あくまで同じ側面を別々の表現で語っている、と言った方が近いかもしれません。

以下は現時点での私の勝手な推測でしかありませんのでそのつもりで。

おそらくこの「第六感」なるものはおのおのに備わっている探知機と言うよりは、同じ領域にあるものを利用融通し合っている結果ではないか。
最近はそう考えています。
少し仏教的な考え方が混じりますが、ここまでの経験を私なりに整理してみるに、どうもそれは概ね“合っている”と結論づけても良いようです。

私とこれを読んでくださっているあなたの間には、肉体という区別はありますが、その奥深いところでは隔てているものは曖昧になり、より深いところでは同じ領域を共有している可能性がある。
ばかげているかもしれないと思う反面、たぶん間違っていないと感じている自分がいます。

第六感で全てOK!といえるほど現代社会は単純ではなくなってしまいましたが、一呼吸置いて見渡してみると役に立っていることもある。
まずこれを認めることが無意識領域の確固たる主張を引き出す第一歩だと私は思います。

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