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発達障害という用語

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発達障害という用語

私事ですが中学生くらいの頃から自分は何故こんなにも集中が続かないのか、と不思議に思っていました。
周りを見ればそれなりにずっと座って授業を受けていられる人も多い中、姿勢を維持しておくことすらかなりの努力を要していました(これも実は脳の機能と密接に関わっています)。
もちろん40年も前の話ですから「気合いが足らん」で済まされた、或いはそう考えるしかなかったのですが、とにもかくにも「ピシッとしていられなかった自分」に不安やいらだちを憶えていました。
現在の仕事は高校卒業後に就いたわけですが、立ったまま10時間も動き続けるなんて無理!とはじめて治療室に立った日(19歳でした)に強く思ったのは鮮明におぼえています。

時は下って2005年ころ、「発達障害」という言葉をよく目や耳にするようになりました。
当時は脳の知識もその内部で起きている化学反応にも全く疎かったのですが、何となく自分の長年の疑問と合致するような気がして、以来ちょこちょことその手の専門書や書籍を手に取るようになりました。

2021年の現在、この名称もすっかり一般的になり適切な診断も下るようになりました。
私と同様の症状やもっと深刻な状況の人たちにもそれなりのアプローチがとれるようになったのは個人的にもうれしく思っています。
ただしまだ研究段階のことも多く、当面はトライアンドエラーが続くものと予想されます。

発達障害はアメリカで編纂されている「精神障害の診断と統計の手引き:Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders」(現在は第5版)に沿って診断されます。
専門的或いは詳細については専門家の書いたものをお読みいただくとして、最近氾濫している、或いは乱用されつつあるこの概念/用語についてすこし書いてみます。

まず重度の問題を抱え、通院治療中の方などは以下に当てはまりませんので予めご了承をお願い致します。

21世紀に入るころから従来「心の問題」に分類されてきた状態の多くは脳の機能不全、機能不安定を背景に持つ問題で、多くは性格や怠惰さゆえのものではないと言うことがわかってきました。
様々なモジュール、或いはエリアにおける機能や全体の統合具合などで左右される脳の働きは、本来的にその成り立ちからも「偏りがあって当然」のものでもあります。
生得的な軸索のコーティング不全や伝達物質移送容器(トランスポータ)問題、あるいはそれを構成するタンパク質の立体構造に関するわずかな違いなど多数の要因が集積して、さまざまな表現型として私たちの前に現れます。

原因が心ではなく脳へ求められるようになってきたわけですが、これは脳という臓器のことが科学的に理解されるようになってきたこと、そしてその手法として機能の可視化が急速に進んだことが挙げられると個人的には思っています。

私のように原因がわからないまま「心がなっとらん!」と言われ続け悩んできたような人間にとってこれは画期的なことでしたが、一方でこの“病名”に振り回される人も増えてきているはまぎれもない事実です。
そんな方々に申し上げてみたいのは、このカテゴライズは病名診断のためと言うよりもある種の傾向を示したものであり、その境界は極めて曖昧であるということです。
数値化しづらいものなので、0か1の診断と言うよりはある種のグラデーションとしてとらえたほうが妥当なように感じます。

ではこれらは巷間言われるように「治り得ない問題」なのでしょうか。

まず基本生得的な要因が大きい脳内構造に依存していることについてはいきなり大きく変えるのは難しいでしょう。
ただし何も出来ないわけではもちろんなく、脳という臓器の理解が進むつれ、様々な方法が提唱され実用化に至っています。
投薬も、非侵襲的なアプローチもびっくりするようなスピードで開発されていて、大変期待が出来ると言えます。
20世紀とはここが大きく違います。

一方で日常の訓練や工夫によってカバーできることも少なくないので、情報を一つ一つ(いっぺんに手を広げないことが重要)集めて時間をかけて対策を練ってみることはとてもよいアプローチになり得るはずです。

さて手技療法家である私にもわかっていることがひとつあります。

この障害を診断された、あるいは自認している人たちの多くは脳以外のコンディションに左右される割合がとても高いと言うことです。
例えばよく私のところで観察されるのは副腎の機能制限とおぼしき問題でしょうか。
副腎は髄質がノルアドレナリン、皮質がコルチコイドを分泌します。
前者は神経の閾値を下げ易興奮性を、後者はそのバックアップ反応を促進します。
治良師としてよく遭遇するのは第10胸神経(或いはその上下)の監視エラーです。
ここから中枢までの副腎監視経路に問題(脊柱管内部の免疫反応亢進など)があるとき他のシステムとの整合性がとれなくなります。
こういった背景によって副腎がオンデマンドで正しく機能し得ないとき「動き出し」が難しくなる傾向が強まります。
何かしようとするたびに混乱し不調になってしまうといった場合、他に問題が見当たらなければ疑ってみるべきです。

また心理的なプレッシャーに対する応答性も下がり、簡単にくじけることも増えてきます。
そもそもこの臓器はストレス対応の最重要器官なのですから。

そのほかどんな原因であれ、コンディションの不安定さは脳の挙動に強く影響します。
その振れ幅が大きいほど当事者の混乱は増していきます。
当然複数の背景を持つことはごく当たり前で、問題を複雑さに拍車をかけています。
なので簡単には解決し得ないのは事実ですが、決して「不治の病などではない」「コンディション次第で不自由さも軽減する」と言うことを憶えておいていただければと思います。

まとめ
まずこの障害は「病ではない問題」を多数含んでいる。
脳やこれに関わるシステムの総体が表す性質の傾向を示したもので、しかもそれらには明確な境界線を引くことは未だ困難である。
訓練や工夫次第で社会性を阻害しないようになる可能性があること。
脳以外の問題が状態に大きく関わることがあること。
脳の理解が進み、前世紀までとはその対処状況に雲泥の差があること。

正しく理解する。
このことは決して忘れないようお願い致します。

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