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仏教概論14

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仏教概論14

業。
日常わりとよく聞きそして使う言葉です。
仏教徒、いや現在ある宗教の多くが”採用”していそうですが、本来的な意味はどのようなものなのでしょうか。

ごうと読みますが、深いとかなんとかどちらかというと「ちょっと近寄りたくないイメージで語られる言葉」だったりします。
言ってみれば私たちが本来的に寄って立つステージのことですが、これはなんだかわからないけれどこの世のはじめから未来永劫回り続けるとされるもので、乗っかってしまったら最後、降りることのかなわないとされるものでもあります。

因果応報という言葉があります。
原因と結果は最終的には対応関係にあるという意味のことです。
これは仏教成立以前からインドに定着していた、正確にはバラモン教を成立させるに当たりアーリア人たちが持ち込んだと言われる考えです。
さらにそれ以前に土着宗教に組み込まれていた転生思想とセットにして「(バラモンの教えにかなうような)善い行いをすれば次の生ではより楽な人生が送れるが、教えに逆らうならば何度生まれ変わってもしんどい人生が待ってるぞ」という教義を押しつけたわけです。
これが「輪廻転生思想」で、その後インド全土を長い間(現在も)席巻することになります。

ただもう少し柔らかく解釈するなら、善い行いには楽な結果が、悪い行いには苦しい結果がついて回る、となります。

さて問題はここから。

因果応報の法則によって私たちの未来は現在あるいは過去の行いによって既に方向性が決まっているとみることが出来ます。
だから善行を・・・と言う訓話的なことを書くつもりはもちろんありません。
善行悪行どちらをしても業を止めることは出来ず、それどころかかえって勢いづけてしまうので、どちらもするな、と言うお話をこれから書いてみます。

釈迦は苦しみの原因を「物事を正しくみないで、間違った認識をした結果起きる間違った考えや行動が業を回す」と考えました。
輪廻転生とその周辺概念を釈迦が本気で信じていたかどうかは意見の分かれるところらしいのですが、いずれにしても当時の自分を含めたインド社会に生きる人間にとっては、半ば常識であった考えですから、自分に対してもそれ以外に対してもここからアプローチを開始するのは都合がよかったのでしょう。
業の原動力が私たちの間違った認識から生じた偏った思考から生まれるとするならば、一見幸せそうに見えても、あからさまに不幸であっても、脳内部の生化学的な状態に引っ張られて選択した場合、仏教的には同じ状態の違う表象であり、どちらも内部の気持ち悪さの原因(煩悩)となります。
それをベースに思考、活動している以上「苦」は永久に居座る。
そこから抜け出すには「現世利益的な思考」から踏み出した、しかし一般的ではない心持ちが必要になる。
当時としてはかなり革新的な思考に至ったのが、希代の哲学者「釈迦」だったのです。

輪廻を回す業をなんとかする。
つまり善い行いから悪い行いからも離れて、常時不変はないと確信し心の安寧を獲得する。
そのためにあーでもないこーでもないと試行錯誤してみて、君子怪力乱神を語らずではありませんが、ただひたすらに内部を論理的に見つめよと言ったわけです。

しかし仏教概論13で書いたように、どうしても私たちは「楽しいこと」さもなくば「脳を興奮させるような方向」へ舵を取りがちです。
特に後者は「どう見ても不幸な状況なのにそこにひたって抜け出そうとしない人」も含まれ、脳という容器を常に生理伝達物質で満たさねば落ち着かない私たちの特性が如実に表れていると言ってよいでしょう。
これ以上食べたくないのに食べてしまう飲んでしまう。
殴られたくないのにDV人間から離れようとしない。
愛だ恋だと言っては不要な人間関係の中でジタバタしては周りをどん引きさせる。
そんな傍から見たら理不尽でしかない行動も、実は私たちの本質の一面であると言えるわけです。

驚くべきコトに、私たちは自ら業、つまり苦しみの連鎖を進んで生み出し続ける傾向がとても強い生き物なのです。
他の動植物を蹂躙する源泉となる「脳の機能」は、その内部多様性故にまっすぐな判断を下しづらい、そして自らを苦しめるように出来ているのです。

きわめて優秀だけれども、どこか弱々しく世間知らず。
命令(脳内伝達物質)にはとことん忠実だが融通が利かない。
自分を原理的に俯瞰できず、仕事場で起きていることだけが彼らの現実。
結果的に処理すべき事実との整合性を失いやすく、その都度都合のよい解釈を持ち出してやり過ごす。
しかし(文字通り)中枢に居座っているために絶大な影響力を持つお坊ちゃん。
言葉は悪いですが、脳という臓器とそこが生み出す心という現象を私はそう捉えています。

私たちの最大の武器であり弱点でもある臓器の、きわめてやっかいな一面を生理的な知識無しでずばり見抜いていた釈迦にはただただ驚嘆するばかりです。

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