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オートポイエティックシステム

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オートポイエティックシステム

脳はデータを独自のルールで情報化する。
何を今更ですがこれは良く考えてみると脳だけの挙動ではありません。
食べ物にしても食べてそのまま利用、排出する生き物は、少なくとも私の知っている限りでは見当たりません。
内部で消化吸収代謝(利用しやすい形に変換すること)し、排出しやすいかたちで排出する。
考えてみればとても当たり前のことです。
このように外部とエネルギーのやりとりをしながらも非線形反応をするのが私たち生き物の特徴であり、コンピュータなどとの決定的な違いのひとつと言えるよなあ・・・
なんてことを考えてネットをうろついていたら表題の「オートポイエティック・システム」というページに行き着きました。

さてそれは何?ですが自分の復習のために少し解説を書いてみます。
先ず基本的に自己生成とシステムの独自性維持を前提に挙げています。
自らを再組織化し、そのためのシステムを外部とやりとりしながらもある境界内で維持しているとなるでしょうか。

そのための4要素を創始者の一人であるマトゥラーナ次のように言及しています。
1.自律性
2.個体性
3.単位体としての境界の自己決定
4.入出力の不在

オートポイエティック・システムはその内外の変化変動に対して調整を挟みながらシステムの独自性を維持しようとします。
私たちのホメオスタシス(恒常性)というのはズバリそのことです。
またこの恒常性を維持しようと起こすアクションのことをアロスタシスといいます。
ホメオスタシスがフィードバックによる調整機構なら、アロスタシスはそれを事前に予測(フィードフォワード)し予防する反応を基礎にしてしています。
暑い日に予め水を飲んで脱水の確率を下げておく、などがこれに当たります。
このようにあらゆる変動に対して予測を立てたり、足りない反応を補いながら再組織化を維持する。
これを「自律性」と言います。

次に私たちの体は他とは明確に区別されています。
外部とのやりとりはある程度可能ですが完全に融合してしまうことはなく、常に内部のシステムは保たれています。
これを「個体性」と言います。

単位体としての境界の自己決定。
遺伝情報から私たちの体が形成されていきますが、これはある意味“自分で決めている”ということになるでしょう。
あるいはある集団は自分たちとそれ以外を区別していますが、そのルールはその集団が独自に決める。
このようなことを指しています。

さて問題は4です。
コンピュータなどの機械とは違い、私たちは〇△□というものを入力(例えばそれを見る)されても、それをそのまま受け入れることはありません。
常に自分の内部とつながるように情報を連鎖させながら認識しています。
言ってみれば常に自分の中に生じる意味(その個体が生きる上での価値)を付与(解釈)しながら情報化しているも、それらが他の個体と完全に重なることは考えづらい。
つまり最初に書いたように「それぞれ独自のルールによって情報化する」のが私たちであると言えるでしょう。
この非線形の出力特性故に従来の情報理論で言う入力に対する出力という考え方がいまいち通用しない。
これが入出力の不在ということ、らしいです。

へぇー、などと間抜けな感想を持ちながら読んでいましたが、自分の仕事に重ねて考えてみると
・入力に対して線形的な反応(出力)を伴わないのが人体ならば私たちの施術も内部でだいぶ解釈或いは減衰されている
という推論を導き出します。
私たち施術者の「ここはこうだからああすればこうなるはずだ」という人体のリアクションに対する予想がかなりの高確率で外れるのは、直感では理解しづらいモノを直感で理解しようとしているから、となるでしょうか。

私たちの“施術”業界においてはそれこそ星の数ほどのやり方が存在しています。
そしてやはり勉強会やら交流会は結構盛んで、皆講師や上級者のやり方を自分のものにしようと奮闘しています。
でも面白い(失礼)ことに他人のやり方をそのまま使い結果を出せる人の方が圧倒的に少ない。
わたしなんかはその典型で、あらゆるやり方を勉強しながらも何一つ完全にモノに出来ていないというていたらくです。
結果今のような「なんだか説明しづらい方法」をとるようになりました(笑)
今まで教えてくださった先生方には大変申し訳ない気持ちで一杯だったりします。
なぜなのか。
昔は「気合いが足りない」くらいに思っていましたが、最近はその理由がよくわかります。
機械計測などが原則できず、出来たとしても結果とはストレートに結びつきづらい私たちの仕事はそれぞれの感覚に依存する割合がとても高い。
そしてその感覚というのはオートポイエティックシステムそのものである私たちが様々な“解釈”の末に培ったものであり、技術を考えついた人教えてくれた人と同じようになるわけがない。
なので教えてくれた人の主張言い分を分析解析理解し、ではその方向へ向かうためには自分ならどうすべきか、から始めるしかない。
ここから始めると自然と「自分の感覚とマッチするやり方」にカスタマイズせざるを得ない。
それで結果が得られるまで工夫、改善、試行錯誤を繰り返す。
気がついたら(特に一人親方の施術師は)オリジナルとは少し~かなり違うものに仕上がっていて自分オリジナルになっている(ことが多い)。
そもそも我々の想定した回復メカニズム(施術の効果が出るプロセス)は医学的科学的に見るとかなり雑なものが多い。
テクニックの創始者は自分が結果を出せる方法の説明を後付けかつ標準医学に寄せてようとして無理のある理論を立てることも多いのでいきおいそうなりやすい。
同じ前提を共有し、かなり正確厳密に定義された用語で情報をやりとりしながら検証を進める標準医学とはここが大きく違っています。
もちろん厳密に検証定義された説明もあるでしょうが、業界的に見るとわたしはあまり多くないと踏んでいます。
だから説明をトレースしそれで思ったような効果をコンスタントに出せる人はまれで、大変才能のある人に限られるとわたしは見ています(正直うらやましい)。

閑話休題

私たちはオートポイエティック的なシステムそのものである。
この命題が正しいとします。
となればよほどの強い或いは効果的な干渉でなければシステムは自律性を維持し、他のシステムの影響はそれほど強くは出ないはずです。
施術においても同様で、大抵の非暴力的なアプローチはシステムを侵害するほどの物理的な刺激は与えていません。
しかし“浸透”はしているようで何らかの或いは劇的と呼べるような変化をクライアントの体にもたらします。
強くはないけれどシステムへの親和性が高い。
だから浸透する。
逆にシステムの個体性はもちろん自律性を脅かすようなアプローチは拒絶されやすい。
私たちの業界においてありがちな「同じような方法をとっても効果が違う」理由はこの辺りにありそうです。
そして親和性を高めるためには施術者にとって無理のない、つまり自分がきちんと使えるようなものでなければならない。
自分の内部イメージに無理なくフィットするよう仕上げられたアプローチでなければ、必ず修正されていない外部イメージと照らし合わせながら動くために余計な力みが生じやすくなります。
結果クライアントの危険を自動監視するシステムはこれを見逃さず、回復プロセスを起ち上げるための反応(主に副交感神経系を介したエネルギー回収反応)は機能を制限される。
言い換えると正しく見えなくてもどんな奇っ怪な方法でも、納得し体に馴染んだアプローチならば案外答えは出る。

この仕事についてしばらくの間、何故同じやり方力加減で行っても効果が出たりでなかったりするのか不思議でなりませんでした。
色々理由を考えてもみましたが、当時の経験や知見ではなかなか納得できる答えは見つかりませんでした。
それもそのはず、こちらのアプローチは相手の中で「システムの都合で消化吸収そして代謝」されるから。
だから単純かつ勝手な想像で結果を予想しても全然違うかたち(反応)になってかえってくる。

治良の目的はシステムがより高効率かつ安定的に機能するようにすること。
結果として様々なストレス状態(予測信号とフィードバックの齟齬)が引き起こす不都合不具合が解消されるようにすること。
それを達成するためには
・システムはこちらの都合の良いようにばかりは反応しない
・施術者の内部理解(基本的なデータセット)につながるアプローチを訓練する
・ただし現実(施術の結果)が著しく芳しくない場合は内部理解そのものを見直す
という前提を踏まえて施術方法を構築する必要がある。
改めてそう思いました。

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