越田治良院へようこそ あなたのココロとカラダをリセット

頭蓋矯正続き

FrontPage
戻る

頭蓋矯正続き

いくつかを除いて頭蓋矯正で対象になる骨について説明をしてきました。
もちろんそれで全部がわかるようになるとは思えませんし、そんなにすばらしい説明であったとはそれ以上に思えません。

さて、本サイトの治良説明において「無理に動かしたり治したりしようとしない」という意味合いの文章がよくでてきます。
頭蓋矯正においてもそれは例外ではなく、難しいことを考えずにただひたすら待つ、ができるとその時点で8割はOKなのが治良であり頭蓋矯正なのです。

私はいつも「そんなにややこしいことをしているわけではない」という主旨の話をするのですが、本当にやっていることはよく言えばシンプル、穿った見方をすると「よくまあそれで結果が出るね」というようなものです。

もちろんそう考えることができるようになるまで、あれこれと試してみてはいます。
その結果得た答えの一つが「自分の感覚を無視するな」ということでした。
自分の感覚を疑うな、ではありません。
頭で理解していることと違うからといって、体のいうことを”無かったことにはする”のは多くのケースでは正しくない、ということです。

私の場合、知識や教養がそれほどでもないにもかかわらず、なかなかそれを認められずに、大半の問題を自分の知っている知識に当てはめて考えようとしていました。
それはそれでよい結果が出ることもあるのですが、いかんせんその応用範囲は狭く、いきおい限られたパターンの症例だけが私の「治療」に反応していたのです。

元々「すべての問題を全部俺が治す!」という図々しいことを考えていた私は、自分の力不足経験不足は棚に上げて、何かもっとすごいことができるはずだという、より図々しいことを平気で考えてもいました。
そうこうしているうちに頭蓋に(私の狭い)常識では考えられないような動きを感じるようになり、そこが「治良」につながる第一歩でした。

以来徐々にですが「感じたことを評価しないで観察する」事ができるようになったわけです。

ところで私は「緩む」という言葉をよく使います。
一般には緊張がとけて可動性が増す、というような意味ですが、正確にはもう少し違うニュアンスがあります。
それは硬いものが柔らかくなるというよりは、大質量のものがその近くにあって空間が歪む、つまり重力が余計にあるかのような感触が「消える」感触といった方がしっくりくるようなものです。
今のところこれ以上の表現が見つからないのですが、たぶんこれが一番近い言い回しではないかと考えています。

頭蓋矯正においてもこの感触がわかれば、余計な手間や時間をかけずに最短で効果的な矯正が行えると私は確信しています。

頭に軽く触れてその中ので起こっていることを、評価や思惑をのせずに観察してみる。
この通りに行うならばリスクは少なく得るものは多いと思います。

powered by Quick Homepage Maker 5.3
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL.

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional