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進化について

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進化について

最近(以前にもまして)よく質問されることに「人間ってなんのために生きているのですか」というフレーズがあります。
まあこういうことを聞かれるのは信頼されているからだろうと思っておりますが、なんとも答えるのに苦労するクエスチョンではあります。

何度も書いてうざったいと思われるかもしれませんが、基本的に私は超自然的疑似人格、いわゆる“神”のような存在については懐疑的です。
アメリカで最近「知的存在が人間を創りたもうた」とする思想を、正式に授業に取り入れている州があると聞きました。
それ自体の正誤についてはここでは書きませんが、少なくともそのロジックには矛盾がみられるのも確かです。

しかるにある意思の元に意味あるシナリオをなぞる、柔らかめに言うと「運命、宿命」といったものについては「ああ、そう」くらいにしか思っておりません。
少なくともそんなに厳密なものなど存在し得るとは思えません。

仮に何かが私たちのような存在を欲したとして、何らかの超自然的アプローチをもってこの世を創ったとします。
それはおそらくずいぶんおおざっぱなものだろうと推測します。
「そこまで計算できないだろうから」ではなく、この現状を観察するとわかります。

個人的なお話ですが、わたしは深海生物をみるのが好きです。
特にサメのファンですが、それ以外も結構目にとまると見入ってしまうのです。

おどろおどろしい姿もなかなか良いのですが、各深度階層で特定の機能を特化させてきたと思われる独特の迫力は、一種形容しがたい気持ちを私の中に呼び起こします。
そしてその進化の仕方は当たり前ですが多様性に満ちています。
少なくとも人間がうまく説明できる以外のファクターが隠れているのは間違いありません。

人間だけが特別で、現在の我々が最終進化形だとする考えは、この説明のつかない多様性を否定することから入らなければなりません。
なぜならばもし“彼”が人間という存在を創りたくて、そしてそれが最終目標だとするなら、まず彼らはほとんど必要がありません。
そんな深海に潜ることは必要ないし、それ以上に無理だからです。
少なくとも私たち人間の世界にはあまり関係してきません。
環境学的に考えるならそうはならないかもしれませんが、“彼”ならもっと違った形でシステムを構築できたはずです。
無駄多すぎ、と言ったところでしょうか。

おそらく“彼”は自分の意思や意志を具現化したい、と言うわりとシンプルな願いを込めてこの世を創ったのだろうと、私は考えています。
そのために比較的単純な方法を選び、その離散集合を気長に見守っていたのでしょう。
そして私たちの時間で100億年以上たってやっとそれらしき兆候を見いだした。
それが私たちのご先祖様だったというわけです。

それは実験とも違う、自分の思いが込められた動くものだったので、彼はさらにじっとそれを見守りながら慈しんできたのです(“彼”がいるとして、ですが)。

今我々は人類存亡の危機に瀕していると言われています。

それでも“彼”は決して助け船は出してこないでしょう。
じっとただただ見守るだけのはずです。
そこに私たちの言う善悪は存在しませんから。

そこで私たちが舞台から消えても、勿論黙ってみているだけ。
秩序の維持を目的とした裁定者ですらありません。
そもそも秩序の維持などと言うことには興味が無いでしょうし。

エー少し脱線しましたが「生きている意味というのは少なくとも私たちが想像するものではない」と言うことです。

かなりおおざっぱでばらまきのような”播種”と、そこで生じた偶然に偶然が重なる形でできたのが私たちであり、それは進化という多様性がある程度証明している。
そこで親たる“彼”はただただ見守るだけの存在で、滅んでいくことさえ多様性の結果として「慈しみながら見守っている」可能性が高いのです。

そんなわけですからこちらがつけた「意味」は、さほど大きく意味をなさないと思っています。
つまり「安心して生きて、安心して死んでいきなさい。その途中に何があっても良いよ」といっているように思えるのです。
勿論“彼”なるものが存在する、としての話ですが。

と言うわけでTさん、Nさん、答えになっていましたか?

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