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記憶について 3

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記憶の影響 3

記憶は何も「残されたもの」ばかりではありません。
生きている人が考えること=思考も一度発信されたものはそのまま影響力を保ちながら残存していることがあります。
ただこれが少しやっかいなのは、発信源が残っているためにそこにリンクして時々方向性が変わってつかみづらいということなのです。
また、生き物の思考の力というのは侮れないもので、通常発信源のない残留思念よりも遙かに強い影響力を持ち得ます。
当然発信源が健在ならば、その影響をシャットアウトできるのは一時的で、下手をするとずっとその状態が続きかねません。

現実的な対応策として受け取る側の生理状態をより高いレベルで安定させる、という方法が挙げられます。
何度も書きますが、本来的には私たちのカラダは思考のパワーよりも遙かに強力な動力で動いています。
ただしこちら側のガードが弱ったり、駆動力が低下して余分なものが入る余地を開けてしまう、あるいは何らかの理由でそれらを受け入れる素地があると、不愉快な影響を受けなくてはならなくなります。

また、よく観察すると強い思考に影響を受けているとき、その人の体の動きに強い制限が加わるのはもちろん、駆動力の流れが大きく迂回するようになっているのが見て取れます。
おかしな表現かもしれませんが「カラダに(駆動力の流れが作る)キノコが生えている」かのように見えることがあります。
これを処理するだけでも楽になるケースもあることから、この原稿もあながち妄想ばかりを書いてあるわけではない、といえます。

すべての不調、不調感をこのことに結びつけて考えるというのはかなりリスキーな話ですが、全体のうちいくらかのパーセンテージでこういったことが原因とおぼしき問題があるのは認めざるを得ない、というのがワタシの現時点での結論です。

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