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自然治癒力 2

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自然治癒力 2  2011/07/14

さて自然治癒力 1ではタンパク質をはじめとした構造上の特性がもたらす(であろう)復元力について書きました。
ではもう少し広い視点で見たときはどうなのでしょうか?

本来的かつ一般的に自然治癒力を解釈するとき、それは「生命を維持するよう方向づけられた力」という事になるそうです。
少し意地の悪い言い方をするなら「ちょっと都合の良い、体を守ってくれている力の存在」ともとれます。
狭義で見るとき、それは免疫系や自律神経系の反応を指しますが、これらはわりと簡単にオーバーシュート(逸脱)を起こします。
元々ペプチドなどの生体物質を使って制御しているわけです。
その量や感受性を完全に予測しておくことは事実上無理といってもいいでしょう。

これらの系統を統合しているシステム全体を見ても、その方向付けは明確にあるかもしれませんが、細かい反応の管理はわりといい加減だなあと私なんかは思ってしまいます。
最近増え始めているといわれるアレルギーをはじめとした自己免疫疾患などは、その一つの証左かもしれません。

頼りになるけど時々焦らせてくれるこの「自然治癒力」ですが、なぜ生物ではエントロピーが(局所的とは言え)減少するような反応が“維持”されるのでしょうか。
結論から言うと「そういうふうにできているから」という、みもふたもないはなしになります。
どうやって生命を維持しているのか、そのメカニズムはある程度解明されつつあるようです。
しかし、「なぜ私たちは生きているのか」という点については、相変わらずよくわかっていないのが現状です。

つまり「自然治癒力」なるものがなぜ働くのか、そしてそれはどの範囲をどの程度カバーしているのかまではわかっていないのです。

私が個人的に引っかかるのは、この“あるのかないのかわからない”ものを当てにしすぎているあるいは金科玉条としていることでしょうか。
私たちの業界においては説明が非論理的であることは往々にしてあります。
ただ実効性や有効性が十分ならばそのあたりについては多少の“言い間違い”は問題なかろうと考えております。
しかし単に「それが正しいんだよ!」というのは(私も時々ありますが)不親切に過ぎる、自分にも他人にも、かもしれませんよね。

仮にこのような「生体における局所的反エントロピー(正確には違いますが)」を起こさせる力があるとして、これを徒手矯正で喚起するためにはどのような条件が必要かを考えて見ました。
少なくとも組織やそれらでできているジョイント部分の矯正だけでは不十分であることは間違いありません。
やはりこれらの挙動に大きくかかわる、あるいは事実上支配下に置いていると言っても過言ではない心理面の反応を考慮する必要があると思われます。
そしてさらにこれらを統合制御する「何か」の問題が控えている、ような気がします。

そこまでして果たして何かメリットがあるのかどうか、はっきり言ってよくわかりません。
しかし、「元の状態への回帰を目指した調整」を標榜する以上、無視することもできないことであると考えています。

次回はこれらの問題の現実的な最適解を出していると思われるお話をご紹介いたします。

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