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空腹

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空腹

最近「空腹」が人を健康にすると言う本が発売されて以来「これってどうなの?」というご質問を頻繁にいただくようになりました。

確かに著者の写真を見るととても50代とは思えない若々しさですね。
老け顔と呼ばれて久しい私からするとなんともうらやましい限りです(笑)。

生物の目的は基本的に「生存」をその中核においています。
これを実現するために捕食し、睡眠をとれる場所を確保しようとします。
かなうことならば増殖を行なおうともします。
そしてそれが確保されると、これらが安定的に供給されるようにシステムを作り出します。
社会とか政治とかはそのための「巨大な外部システム」というわけです。

その手段の最も初歩的なこととして体内でエネルギー産生を行います。
これは糖や脂質、最終的にはタンパク質までも利用してアデノシン三リン酸(ATP)を生み出します。

ただし消費されるエネルギーにも限界がありますので、当面エネルギーが必要ないと判断されるとそれらは中性脂肪に変換されます。
まあ余計な仕事が増える、と言うわけですね。

この結果蓄積された脂肪ももちろん問題があることがわかってきたのですが、それ以上にこれらは「体に本来ならばしなくても良い仕事を強要する」という側面があり、どちらかというとこちらの方が問題になることが多いのです。
要するにいらんことをしなければならない状態では、余計なエネルギーを改めて産生せねばならず、このことによって少なからず酸化ダメージを受ける、という問題が生じてきます。

生物がこれだけ多様化した背景の一つに好気性反応の採用が挙げられます。
嫌気性反応はその反応が穏やかですが、生み出すエネルギーの量は圧倒的に少なく、人間でいうと「解糖系」と呼ばれる糖→2ピルビン酸と言うのがこれに当たります。
ここから先はアセチルCoAを出発点としてクエン酸回路が形成されます。
そして最終的には水素イオン濃度勾配を利用した電子伝達系に引き渡され、38ものATP分子がつくられます。
クエン酸回路電子伝達系ともにその反応に酸素を利用していますが、これを使うと必然的に生まれるのが「活性酸素」という、このサイトでもおなじみのラディカルです。
無いと困りますが、ありすぎても何かと問題を引き起こすのがこの活性酸素というやつです。

つまり体の中で反応が起こり、そしてその機会が増えるたび、体の中ではミトコンドリアがせっせとエネルギーをつくり、副産物としての活性酸素もどんどん生まれてくるということになります。

私たち現代日本人は飽食の時代を生きています。
たくさん食べては(私のように)たくさん消費しようと運動して、を繰り返しています。
もちろんこれは悪いことではないし、ある種の人たちにとっては絶対必要であることは明白です。

が、たくさん食べることも、運動強度を上げてゆくことも「酸素の消費量=活性酸素の産生量アップ」という点では共通しています。
つまりどちらも「体を(細胞レベルでみると)痛めつけている(可能性がある)」ということになります。

以前マクロビオティックを実践していたときに「七号正食」なるものをしてみたことがあります。
一日玄米一合とごま塩などを少々、そして煮炊きに使うものまで含めて水分は3号までということを一週間つづけるものです。

これをしていたときは五日目くらいから本当に体が軽くなったのを覚えています。
体重ももちろんがくっと下がり、たぶん人生で一番スレンダーだった時期だったのでしょう。
みんなから「病気?」と心配されました(笑)。

私の人生から大食を除くとこんなに軽快な体になれるのか、と驚きました。

さて、良いことずくめのような小食、減食ですが、もう二度としたくないと考えている私がいます。
ご想像に難くないと思われますが、食べ物への欲求を抑えるストレスが半端ではありませんでした。

マクロビオティックを行っている人が失敗する原因の一つに「我慢しすぎ」というものがあります。
これは長い間そのような人たちをみていて気がついたのですが、我慢した上にその我慢を意識しないようにどこかに追いやろうとします。
重篤な問題を抱えてマクロビオティックに入ってきた人たちでさえ、その緊急性が薄れるとあれこれ食べたくなるのが常ですから、私のようにそれほどでもない人間にとっては「なんのためにこんなことをしているのか分からん!」と思うのはごく当然の心理だと言えます。

空腹というのはある種の緊張感を体に生じさせます。
それはできるだけ高効率にエネルギーを確保しようとするときの反応で、少なくなった供給に対する当たり前の順化反応であります。
そして同時に生きるのに必要最低限以外の反応が省かれている状態とも言え、活性酸素の産生量も生物として好ましいレベルに落ち着いていることが予想されます。

ごく近距離しか乗らず、しかもアイドリングや急のつく操作を可能な限りしていない車のようなもので、応力が極力かからない(ポテンシャル変動の少ない)状態は、保存状態にもよりますが機械として「ヤレ」が少なく、長期間新車に近いコンディションを保持するといわれています。

ただ先ほど書きましたように、これを日常とするためには「欲求不満全開」状態を経過する必要が(ほとんど全部の人間に)あり、しかもピークを越えても襲いかかってくることを勘案しておく必要があります。

ストレスというのも実は活性酸素でまくりの状況をつくりますので、常時これをこれを抱えているのは緩やかに病気への道を歩いているようなもの。

と言うわけで上記の書籍にある「空腹を楽しむ」は期間限定か、徐々に体をなれさせるか、それを本当に苦に思わない人がやるべきで、安易に手を出すのは自分不信になる可能性があることをお忘れ無く。
ついでにいうと、100歳以上のせいを全うしている方はどちらかというと健啖家の方が多く、よく飲みよく食べることを人生の楽しみとしている人が圧倒的に多数だそうです。

結論:空腹状態の維持は確かに有効な養生法であるが、それがなければ健康になれないと思うのは間違っている可能性がある。
人の数だけ健康のあり方もある、と言うことでしょうか。

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