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睡眠は何故必要か

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睡眠は何故必要か

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記憶するという「現象」は、脳の可塑性によってもたらされると考えられるようになってきています。
その大まかなメカニズムは以下のようになっています。

ある状況は私たちの五感から入力され、これによって既に格納されている記憶が呼び出され、参照され、内部を走る安定的な記憶群に取り込まれるか、はじかれるかの判断がなされます。
この際、神経細胞の興奮は軸索に伝えられ、末端で他の神経細胞との間(隙間があります)で連絡を行いますが、この接合部をシナプスと言います。 

神経内を伝わった信号(イオン交換による化学ポテンシャルの変動)は軸索末端を刺激し、化学物質を間隙に放出します。
これが神経細胞樹状突起で受け取られます。
これが次々と連鎖して、脳内での興奮を伝達してゆきます。

この興奮が頻繁に起きると、そのシナプス及びシナプス同士が作るネットワークは容易に興奮しやすくなります。
そのとき、興奮頻度の低いシナプスと比較すると、明らかに構造変化が現れてきます。
このように「ある特定の状況≒記憶の想起が引き起こす興奮のし易さがもたらす変化」を「可塑性」と言います。

脳内で興奮が起きやすくなったシナプスやネットワークは、他の条件が一定ならば使われる時間が長ければ長いほど可塑性は進み、最終的には固定的な記憶に遷移してゆきます。
このとき同時に起きる近傍での興奮は、状況によってはもっとも安定的な記憶群を強化するための足かせになりかねません。
軸索を流れる信号がメインではないシナプスに使われたり、それらによって好ましくない記憶が想起されることは、出来れば脳としては避けたい事態なのです。

自分にとって都合の良い=使い慣れた内部回路との親和性が高いサーキット(シナプス)以外は、出来れば沈静化させ、信号が流れないようにしたい。
脳は実はそんなことを志向しています。

冒頭に張ったリンク先の記事は、睡眠によってシナプスの興奮度合いを低下させ、全体としての記憶容量を確保するものである、としています。
つまり眠ることによって興奮が収められ、重要ではないサーキット/シナプスは可塑性を免れ、また次の記憶のために(事実上)リセットされるというわけです。

逆に考えると、眠らないあるいは睡眠不足は、脳の余計な興奮が収束しないまま活動することを余儀なくされ、メインの記憶システムに十分な信号やエネルギーが供給できない状態を招くとも言えます。
信号のコントラストが不鮮明で、全体にぼんやりした思考しか出来なくなるのも頷けます。

睡眠についてはもうひとつ私も思うことがあります。

意識されずメインの記憶群にも取り込まれず、意味を(未だ)成さず漂っているデータを私たちは驚くほどたくさん抱えています。
これをここでは「野良データ」と呼ぶことにします。

意識されていないが故に他の記憶に修飾されず、ただ状況を取り込んだだけの「生のデータ」です。
何かに刺激によって走る「認識のための反応」、つまり意識という現象が生じているとき、これらの野良データはなかなか認識に必要な反応群に入り込むことが出来ません。
そもそもメインの認識反応との親和性が高くないが故に取り込まれずに漂っているわけですから、強烈な認識反応(思い込みとも言います)が走っているときは「お呼びでない」ことの方が多いと考えるべきでしょう。

ただし、認識に変化が起きたとき、新たなサポートとしての需要が期待されるものもたくさんあり、それらを取り込みたいと思っていても起きているときはやはりなかなか取り込みづらくなっています。

しかし認識反応が必要最低限になっている就寝時は、これらの野良データを取り込みやすくなっていて、脳のエネルギー消費を長期的に抑える意味からもおそらく積極的に取り込みが行われているはずです。

このように野良データによって認識が変化あるいは強化されるとき、人は「はっ」とします。
これを「気づき」と言います。
その変化の度合いが大きければ大きいほど「はっ」ッとする度合いも大きく、場合によっては感激(感情の揺さぶり)も大きくなります。

純粋に脳内生理の面から見ると、単独で興奮する意味を成さない反応を抑え、より使いやすいサーキットへデータを編入させられるメリットがあります。
また認識の変化は、現実(今からだが感じている状況)と、処理中の反応の間にある齟齬を少なくし、より高い整合性をもたらします。

本当の本当に可能ならば現実をそのまま受け入れ、脳内世界で意味づけなどやめたい。
生物としての物理現象は本来そのような方向性を持ちたがりますが、上記したように脳内では「できるだけエネルギーを使いたくない=現実を自分の都合の良いように歪曲しておきたい」反応が大手を振って闊歩してしまいがちです。

そしてこのごまかし反応は、とても脳を疲れさせます。
必要以上に興奮しなくては自我を維持できないので、その意味からも疲労が当たり前になっています。
睡眠はシナプス単位でのオーバーシュートを回復させ、安定したネットワークに参加しづらいデータをも取り込み、長期的な安定性をもたらします。

眠らせないのがもっとも過酷な拷問である。
確かにそうなのだろうと私も思います。

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