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治良の現在

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治良の現在

先日札幌でカイロプラクティックのセミナーが開催されました。
すでに15年以上通っている勉強会ですが、出るたびに先生たちの技術の高さをみてはへこみ、そして同時におもしろい発見があります。

今回の発見は出席者の先輩(この勉強会では私ともう一人が50歳目前にして最年少!)と話していて気がついたことでした。
それはいつものなんてことのない会話だったのかもしれませんが、もしかしたら今現在一番知りたいことへの入り口だったのかも、と考えています。

何度かこのサイトで書いたことですが「わからないものをわからないまま扱う」というのが治良を行う上で一つのポイントとなります。
これは別の言い方をすると「状況を決めつけない」という表現が当てはまるものです。

なぜそのような考えが必要なのか。
それは私の知識や技術ではそう考えるしか、治良を成立させることができなかったからだと考えています。

状況あるいは目標を定めてアプローチを行うためにはいくつか必要な資質があると私はみています。
しかし残念ながら私にはそれがかけているようにも思えるのです。
結構勉強しましたがその結果出た答えは「別の方向から目的地を目指すしかない」でした。

それを推し進めてゆく過程で出てきたのは“頭よりも体が示す方向性”に従ったほうがより確実である、というものでした。
これを実行するためには「治そう」と力むのをやめることが必須でした。

必然的に「よくわからないものを強引に解釈する」ことは御法度となり、浅薄な知識に基づくあやふやな決めつけはいつの間にか必要のないものとなっていました。

これはこれでうまいこといきました。
納得できる結果を今までよりも効率よく生み出すことに成功した、といっても過言ではありません。

ただしこれを行う必然性というのは何か、なぜそういった現象が起きるのか、その先はないのかということに頭を悩ませていました、最近は。

とはいうもののたいしたできではない脳みそですから、そこに至る経緯を逆にたどって考え直す、などという高等戦略はとれません。
間が抜けた自分なりに朝も昼も考えていたのですが、やはり自分一人では考えが同じところを回ってブレークスルーには至りません。

そんな中いつも同じ質問ばかりで申し訳ないと思いつつ、先輩に疑問をぶつけつつ話をしていて突然「あ、自分が知りたいのはこれかなあ・・」と、漠然とですが感じました。

これはあくまで経験に基づく実感というか、私見に過ぎないのですが、自分が今していることの必要性を知るというのはとても大切なことなのではないかと私は思っています。
その理由は悪くいうと「無駄働きはいや」だからであり、少し気取っていうなら「本音との乖離は充実感がわかない」からなのかもしれません。

で、私が悩んでいたことの本質的な部分はこの「治良の方向性は定まったものの、何故そんな方向へと流れてゆくのか」という部分であることに考え至りました。

まあずいぶん贅沢な悩みともいえますが、なんだかわからないものを抱えているというのも精神衛生上は好ましくないので、いろいろ考えてはいたのですが・・・。

なぜかいつもしているような会話の中でそれは突然腑に落ちたのです。
今風にいうなら“気づきがあった”とでもなるのでしょうか。

都合のよい答えが見つかっただけかもしれませんし、単なる勘違いである可能性も否定できません。
ただきわめてわかりづらい「できるだけ思考を介入させない」という方法論に、明確な必要性が確認できた(と現在感じられている)ことは僥倖でありました。

気づいた内容については(たいしたことではないのですが)また機会があれば書くかもしれません。
もう少しおもしろい文章が書けるようになったらチャレンジしてみます。

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