越田治良院へようこそ あなたのココロとカラダをリセット

意味のない(かもしれない)仮説

FrontPage
戻る

あまり意味のない(かもしれない)仮説

表題通りであるならばなぜウェブサイトなどに書きこむのか、というお叱りを受けそうですが、私自身が確認を行うためとお考えくだされば幸いです。

私は元来自分の解釈の内側で動く人間で、それは私に次のような考えをもたらします。
「人間という分子機械は内分泌系を始めとした制御伝達システムの下僕である。だからこれらを自由自在に操れるならば、それはその人間を自由にできると同義だ」と。
要するに人間という脳を発達させてきた生き物は内部を制御する化学物質の挙動によってどうとでもなるロボットである、と考えていました。
 
が、不思議な体験をして以来、私達の内側に鎮座しているであろう”何か”と乖離しては充分に満足を得られないのではなかろうかと考え始めています。

これは想像というか思い込みに近い考えなのですが、100%脳内物質をコントロールできるとして、その上で肉体的=心理的な満足感を与えたとします。
養老孟司著「唯脳論」、あるいは映画「Matrix」に代表されるように、生き物の生とは所詮脳内にしか存在しないということであれば、これによって”完全な幸福”を手に入れられるはずです。

一方脳の派生機能である精神活動や意識、感情を相互に関連付け、なおかつ我々をエントロピーに逆らって維持してくれているエリアがあります(多分)。
これを私のサイトでは「心」と呼びます。
それは意思を発生させ、そして意識に昇華させ、精神活動を裏から支え、私達が自然の法則に逆らうがごとく生き抜いていくための力を供給してくれています。

超自然的擬似人格みたいなものを想定しているわけではありませんが、それに近い設定みたいなものとして捉えると色々都合が良いので、私の中ではそのような位置づけになっています。

ところでトラウマや種々の心理的要因によってもたらされる生理機能の制限は、心の下部ディレクトリである思考や意識といった中枢神経系の負荷あるいは機能によって生ずるものであると推定されます。
従来の私であれば「なら生理機能を修正しないとダメじゃん」と思っていたでしょう。
今も基本的には生理と心理は密接に連動していると考えるので、それはそれで”正論”だと思っていますが、最近はどうやらそれだけでは人間というシステムを考える上で充分だとは思えなくなっています。

一説によれば、これらの心理的負荷による問題は、相互に関連性をブリッジさせているシステムに混乱を生じているからこそ起きるのだとのこと。
私風に考えると生理と心理を統合しているエリアのエラーがそのまま保存されている状態、ということになります。

確かに苦痛あるいは快楽中枢に関わる伝達物質を思うようにできたら、操られた側はそれに逆らうことはできないでしょう。
実際にそれは無理としても、肉体的負荷が少なくなり、それによって生じる余力は普通に考えるならば私達はより手軽に幸福感をもたらしてくれる、そんな気がします。

しかしそれが当の本人に望むような満足を与えうるかどうかは議論の余地があります。

まず、食住という生命を維持する上で必要な環境を手に入れることをクリアした、つまり現在の先進国と呼ばれる国々に暮らす多くの人たちは、そのレベルゆえの悩みを抱えています。
生き物として緊急かつ当面の、切実でわかりやすい目標を見失いつつある(本当はそうでもないかもしれないですが)私たちは、一昔前であれば”贅沢な悩み”とされたような問題に苦悶しています。
しかもそれがあろうことか、脳という制御システムの要に重大な制限を課すような負荷となって現代人の前に立ちはだかっています。

緊急性のある生理的あるいは生命上の危機は回避しやすくなったものの、それらの人たちが「幸福」であるかと聞かれると、定義の問題を無視して個人的主観を開陳するなら「必ずしもそうではない」と答えるしかありません。

それが脳内物質のせいなのか、そして「Matrix」の世界が本当に訪れれば、これらの問題が一気に解決して「究極の幸福」を得られるのか。
私には判断がつきません。

ただ2012年現在の日本において、心の安寧を求める人達はおどろくほど多く、そしてそれらは日々切実で切迫した問題となって私達を襲います。

では本当の、我々人間が心底安寧を感じられ、そしてそれ以上(とりあえず)望むものがない状態というのはどのようなものなのか、私は最近良くそのことを考えます。
まあそんなものはない!と断言してもらうのが一番ラクなのですが(笑)、そのあたりをシニカルに見過ぎる人間(まるでわたしのようですが)というのも本音が見えなくて今ひとつその意見に乗りきれません。

実は以前に一度、確か15年以上前だったと記憶していますが、ひょんなことから「なんで今まで悩んでいたんだろう?」といきなり吹っ切れたことがありました。
大した意味もなくはじけてから3日くらいは「生きているだけで楽しい」状態でした。
勿論生理状態も生まれて以来最高で、病気なんて想定もできないくらい爽やかな気分だったのを覚えています。
3日を過ぎたあたりからだんだん元に戻りましたが、本当のことを言えばあれば今でもわたしの「幸福のベンチマーク」になっています。

その時は確かに私という個人を生かしている何かとつながったという感覚がありました。
それはそれ以上の説明ができないもので、しかし間違いなく私の内側で鼓動を支え、しかし全てとつながっているのが意識出来ました。

あれからあまりの忙しなさですっかりそのことを忘れかけていましたが、ここ1年くらいのいろいろな体験がそのことを思い出させてくれたのです。
そして今はその”何か”とあの時とは違うアプローチで接しようとしています。
うまく言ってまたあの究極の幸福感を手にできたら、その時はまたご報告いたします。
皆様祈っていてくださいね(笑)。

powered by Quick Homepage Maker 5.3
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL.

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional