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必要であると言うこと、好きであると言うこと、求めていると言うこと

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必要であると言うこと、好きであると言うこと、求めていると言うこと

いるいらない、好き嫌い。
同じようだし状況によっては似ていることもありますが、少し違うものです。

必要不必要は割とすぐに判断ができます。
おなかがすけば飲み物や食べ物が必要でしょうし、寒さがきついなら暖をとる必要があるかもしれません。
また学歴や人望などと言った、少し曖昧なものの場合によっては手にすることが重要と言うこともあるでしょう。
節制や克己心なども含まれるかもしれません。
個人的社会的に生き残ったりあることを達成するためになくてはならないもの、と考えればわかりやすいでしょう。

これに対して好き嫌いはどうでしょう。
これは必要とおおむね同じもので、しかしより心の奥の欲求に近い位置にあるもの、あるいは生理的理由と関係しているものです。
たとえば飲まなくてはならないが味が好きではない薬。
また仕事上絶対いてもらわなくては困るが、どうにもむしの好かない上司。
なければ困るが肌に合わない、と言うやつです。

逆に実用上はダメダメだし値段もびっくりするようなスポーツカーを無茶なローンで買い求める人もいます。
「あんたそれやめておいた方がいいよ」とまわりに言われる異性。
私がつい買ってしまう漫画(笑)など、必要のない好きにも色々あります。
ここ最近よく言われる「自分に合った何々」というのもこの「好き嫌い」が大きく関係しているようです。

もちろんこれらの判断基準がダメなどと言うつもりは毛頭ありません。
どれも立派な選択理由になり得るものです。

問題はこれらの選択理由で選んだものやことが、だんだんと「何か違う・・・」と感じ始めたときです。
特に「好き!」と夢中になったものが、現実に触れさせて行くうちになんだかしっくりこなくなる。
人でも物でも技術でもそういうことはあるでしょう。
心理学的な理由は言及しませんが、これはいったい何がそう思わせるのでしょうか。

よく「心の底から求めているものはこれ!」と興奮する人がいます。
私もそういうことはあります。
同時に年をとってきた最近は「でもそれってどんな基準でそう言っているのかな・・・」と考え込むことも少なくありません。

必要不必要の基準は上記のように「とにかくなくては今困るもの」と言えます。
好き嫌いは「頭で考えていたこと」と一致することが多いようです。
考えたことではなく、考えて「いた」こと、です。
過去からずっと暖めていてしかしなかなか達成されずに来たものと言えばわかりやすいでしょうか。
そういったものはいわゆる欲求不満状態の種になっているもので、ちょっとしたことではじけてしまうような不安定さを持っています。
いわば頭の中をうろうろしている風船のようなもので、はじけるきっかけを待っているとも言えます。

断言していいものかどうか、正直私にはわかりませんが、それらは「本当に求めているもの」とは別なのではないかと、最近強く思うようになりました。

心の底から求めているもの。
それは無意識領域でいつも私たちを呼んでいます。
しかし頭がそれに気づくのにはたいてい時間がたってから、つまりタイムラグがあります。
逆に言うと無意識は意識の常に先を行っていると私は考えています。
先を行っているのでなんだかよくわからない、イメージがはっきり描けないものが圧倒的多数です。
もちろん言語化はほとんどの場合が不可能です。
それを行ったとき、気づいたときは「本当にこれでいいのか?」と不安になります。
しかし結果は歴然としていたり、あるいは今までとは違うが奇妙な安心感を伴っていたりします。

治良においては今までの基準からするとどうにも納得できないが、しかし体(無意識)が「これがベスト」と言っているような気がする、と言う漠然としたなんとも言えない感触を感じることがあります。
たいていそのあと悩むのですが、結果は非常に良好であることが(今のところ)ほぼ全ケースと言えます。
これからの研究課題の一つとして、この感触をもう少し探って体に覚え込ませることが挙げられます。
もちろん一般化するのは今のところ考えておりません。

今の生活は私には「合わない」と嘆く前に、本当に自分の求めていることをささやいている声に耳を傾けてみませんか?

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