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心 再考

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心 再考

医師で著述家のアンドリュー・ワイルは「様々な事実から推し量るに、治癒力の源は心であり、それをアロパシー医師はプラセボ効果と呼び一蹴する」と言うような意味合いのことを、その著書の中で書いています。

アロパシー医師とは、症状に対してカウンター的な処方をすることをその治療手段とする、現代における標準医療を旨とする医師たちを指しているようです。
そこにおいては「心」と呼ばれる、定量も定義もきわめて困難なファクターは取り扱い不可要素として排除される運命にあるようです。
もちろん私たちの業界においてもこれは「判断不能」として脇に追いやられつつあるのですが、そうもいっていられないなと私個人は考え始めています。

心と精神作用あるいは意識と呼ばれるものは、今日においては同じ扱いを受ける場合が多いようです。
厳密には精神作用も意識も、脳という臓器が生み出す、いわば生理的機能の一つと私は思います。
考える、意識する、あるいは感覚による情動(感情)の発生。
これらは脳という臓器なしではなり立たない機能的側面です。

対して心というものは非常にわかりづらい存在と言えるでしょう。
意識と無関係に存在しているように思えます。

以下は私の個人的感覚に基づく個人的な考えですので、そのつもりでお読みいただきたいと考えます。

治良を行っていていつも感じていたことなのですが、治癒(と私が考えている状態)のハードルの上下を何が決めているのか非常に把握しづらい、と言うことがありました。
重大と思われる問題がすんなり反応して安定する人もあるかと思えば、ほんのわずかな制限を解除するのにエライ時間のかかる人もいます。

この差はいったいどこから生じるのか。

人間にとっての根本的な駆動力。
やはり“そういう”類いの話になるのだろうと、私は観じていました。

最近どうもそれが「心」と呼ばれるものと深く関係しているが、精神や感情の動きとはまた別のところから生じているらしい。
そんなふうに理解してもいます。

疑似人格を持った超自然的存在とは違うようですが、そのようにして普及してきた概念と重なるところがある。
そう考えると私は「心」というものを理解しやすくなります。

そう考えるとプラセボ効果こそが治癒の本質的一面であり、これは排除するのではなく、積極的に取り入れ利用したほうが良いように思えます。

このあたりを十分に考察しないままに来た私ですから、当面すること考えるべきことは山積しております。
でもしなければここから先に進むことは難しそうです。

言葉で表現できるようになったらもう一度この問題について書いてみようと思っています。

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