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再度”治良”を考える

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再度治良を考えてみる

わたしがこのウェブサイトを始めたきっかけは、「今時ネット告知もないのはどうなの?」という声からでした。
立ち上げてみて、そしていろいろ書き込んでわかったのは「自分の勉強になる」ということでした。

頭で考えるのは当然必要なのですが、それを声に出してみたり書いてみることによって、思い込みによって成立していた偏りなどがよりはっきりしてきます。
声を出すのはそうそうできるものではありませんが、書き込むことは今のところ自由なので「やってみてよかった」と思います。

もっとも教養や文才がゼロに近いので、専門用語をできるだけ使わずに書こうとしてかなりイタイ文章になっているな、というのは常々感じておりますが。
このサイトを読んでくださっている方には誠に申し訳なく、この場を借りてお詫び申し上げます。

わたしはほぼ毎日のように自分のカラダで実験を繰り返しておりますが、新しいアイデアも毎日のように浮かんできます。
それを自分に試してみてはいますが、大体1~2%程度しか“使える”ものがありません。
それ以外はひどい結果を招くのでお蔵入り、もしくは永久に封印となります。

そうやって毎日実験、臨床、時々勉強会というのを繰り返しているうちにわかったのは「少なくとも自分の治良においては複雑なことをしてはいけないな」と言うことでした。
いけない、というのは「すると効果を損なう」と言うことです。

壊れる、ということはないですが、せっかくの治良にロスが生じるのはわたしにとってもクライアントの方にとってもよいことではないですから。
可能な限り最短で最大の効果を出すことが治良屋としての誠意とするならば、それを達成するためのアプローチというは自ずと皆違うものになります。
わたしの場合は「余計なことはできるだけしない」が今のところもっとも良い答え、ということになります。

その結果が柔らかくついて行くことであり、遠隔治良への応用となっていきました。
特に最近は遠隔治良による治良数が全体の60%以上を占めるようになり、自分の考えの方向がそう間違っていないことも確信できるようになりました。

ただ「シンプルである=単純」という等式は成り立つものの、「単純=簡単」という等式は成り立ちません。
それはシンプルさを求めて「ただ触っているような治良」になったわけではなく、治良効果を最大にしようと工夫していたらいつの間にか簡単に見えるアプローチになってしまっていたからです。

最近書くことで自分の勉強になるなら教えてみればもっと勉強になるかも、と考えるようになりました。
実際そのようなオファーもいただきますが、しかし教え方がまったくわからないのが実情で、ましてや1年や2年で伝えきれる能力がわたしにあるとはとうてい思えません。

イメージを伝えることもままならず、一から教えるのは時間がかかりすぎる。

最近勉強量が増えたのはそういう理由もあるのです。

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