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仏教概論9

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仏教概論9

仏教概論9

仏教概論仏教概論:番外編まで出しておいて「9」というのもおかしなコトですが、いくつか質問されたことがあり、それに答える形で書いてみます。

Q:現在日本で一般に信仰されている仏教は、釈迦の提唱した教えとは違うのか。

A:一言で言えば「別物」と私は考えます。

日本で信仰されている仏教、その中の数多くある流派は、釈迦の死後できた新しい考え方が中国北方に渡り、そこに元々あった先祖崇拝を重視する思想と混じり合ったものがその原型であると考えられています。
釈迦入滅後、それでも100年程度はその原型通りにサンガ(僧伽=仏教修行者の集団)が運営されていたようですが、その後細かな分裂が起こり、さらに数百年たつと完全に別物の考え方ができたようです。
この全く別物の考え方が中国→日本に渡ってきて、時の政治のためにあれこれ付け加えられ、お釈迦様の教えとはさらにかけ離れたおどろおどろしい姿になっていったようです。

そもそも釈迦は

・どんなに善行を行おうが栄華を誇ろうが最後は「病老死(特に“死”)」にゆきつき、同じ末路を迎える
・しかもそれは人の力ではどうしようもない

という事実を(なんと二十歳を過ぎてから)知ってしまい、そのことに恐れおののき苦悩し、そのやり場のない気持ちをどうにかするために、妻子や継ぐべき家を捨て修行を開始したわけです。
その結果失敗をしながらもついに苦悩から解放されるすべを手に入れました。
これを菩提と言い、そのとき大きな木の下で瞑想していたので、その木を菩提樹と呼ぶようになります。

その後はどういった心境の変化なのかはわかりませんが、これを人に伝えようと活動を始めます。

彼は「自分はこれこれこのようにして真理を手に入れた。あなた方もこれを忠実にトレースして真理に到達しなさい」と説いて回りました。
実際には聞く人に合わせて様々な話をしていたようですが、ともかく方法論をアナウンスして回っていたわけです。

基本的にはその方向性は

・ただひたすら心の安寧を得られるようにするためのノウハウの公開
であり、そのための準備段階として

・すべての所有物、人間関係の放棄を絶対条件として求める
といったものでした。

ただひたすらに自分の心と向き合い、自らを苦しめている原因と対峙し、理性によってこれを克服すること。
これが仏陀(覚った人)である釈迦の教えの方向性であり、そのための方法論が彼の生存中事細かに規定されてきました。
そこには一切のファンタジー的な思考や神話を必要とせず、釈迦の教えさえも最終的には検証するという徹底的な思索ぶりで、当時のバラモン教をはじめとした「信じなければ救われない」という宗教一般のベクトルを真っ向から否定するものでもありました。

一方でその目標の性質上、所有をはじめとした社会活動はきわめて厳格に規制されました。
鉢と一枚の衣以外は財産を持つことを禁じられ、自給自足を含めた生産活動も御法度でした。

しかしながら仙人ではないのでどこかで最低限の糧を手に入れる必要があります。
これはもっぱら「所有せず」を守る必要もあり「必ず人から鉢に入れてもらったものだけを食べること」が厳しく要求されました。
これを「乞食(こつじき)」といいます。
そのときもちろん「鉢の中に入れて」と要求してもいけません。
ただしいったん鉢に入ったものは何でもOKで、糧秣としてありがたくいただくことができます。

このように「修行を絶対的に優先するために他人、それも釈迦の基準から言えば“憐れな人々”の社会活動に依存するしかない」という、まあなんというかある意味勝手な言い分によって成立する教えだったりもします。
そしてこの教えを実践できるのは「基本的に体が頑健であること」が事実上の必要条件で、こういったことからも出家できるのはごく限られた人たちでした。
ただし釈迦自身はこういったことを規則化したわけではなく、また選民意識を不合理と考えていたので、心に大きな負担を抱えてにっちもさっちもいかない人たちを受け入れていました。

さてかように「いろいろな意味で厳しい規制下にあって達成される安寧」を求める人は、時代を下るに従って少なくなってゆきます。
プラス「釈迦しか仏陀になれない」という考え(があったらしいのですが)に疑問を感じ「みんなで覚ろうよ!」と言い出す人たちが出てきました。

釈迦の教えを忠実に守りただひたすらに自助努力で苦しみを克服しようとする人たちを小乗と呼び、信じていれば仏様(釈迦以外のですが)がお救い下さると主張する一派を大乗と呼ぶ時代がやってきたのです。
これはあとからできた後者が「自分だけ救われようとするのはずいぶん小さいな」と、前者を半ば侮蔑的に呼んだコトからできた名称なわけですが、そもそもが「自助の方法論を教えるのであって救いの教えではない」以上、その批判のベースになっているロジックの不完全さがみてとれます。

途中有名なアショカ王の介入などがあってこの大乗/小乗の分裂は決定的となるのですが、このオリジナル仏教とは基本的なコンセプトを異にする同名の宗教は、その後原始仏教とともに中国に入り込みます。
このとき先にも書いたように当時の中国に根付いていた「儒教」の影響を受けます。
「孝」をその中核におくその思想体系は、出家を絶対条件とする原始仏教よりも、その点割合ゆるめの大乗仏教を選択し、元からあった思想体系と融合させ、独自の哲学による宗教を作り上げました。

このあたりになるとオリジナルをたどることはもはや不可能だったらしく、中国という国のたくましさを感じずにはいられません。

日本は7世紀あたりにこれを輸入し、当時の政治家たちの道具として発展してきた経緯があります。
私たちが普段接している「仏教」はこれを指し、少なくてもこのあたりで原形を保ったお話を聞くことはできない状況にあります。

Q:では現在の日本における仏教はまやかしなのか

A:私はそうは思いません。

仏教の解釈を勘違いさせているという点ではそれほど賛同できませんが、同時に自分で生活しながらよすがを求めるのもまた私たちの普通の思考で、(私を含めた)そんな人たちが自分たちなりの心の安寧を「南無阿弥陀仏」に求めたところで非難できるはずもないからです。
またよく見てみるなら大乗仏教が提唱する身の処し方もまた十分練り上げられたものが多く、これはこれで一つの立派な智慧であり哲学であると私は考えます(それほど詳しくはありませんが)。

ただ個人的に思うのは、せっかく優れた哲学体系を背後にもっているので、怪しげな解釈(あの世や輪廻など)よりも意識を梃子とした脳のハンドリングを、きちんと実践できるような(それも現代風にアレンジした)方法論を研究提示してほしいとは常々思っています。

科学と仏教の共通点の一つに「極限の微分を指向する」があるとわたしは考えています。
これは言い換えるならば「曖昧さを可能な限り排除しつつ、対象の姿性質を明確にしてゆく」ことであり、現実との整合性を漸進的にとってゆくことでもあります。

世界が巨大な亀に支えられ、太陽は地球の周りを回り、大いなる神々がその構造や運行規則をお決めになる。
そんな神話的なイメージでとらえられてきた物理世界が、今では「事象は可能性の重ね合わせでしかない」としか表現できないところまで解析/描写が進んできています。
仏教も目指すところは同じですが、あくまで対象は自身の心、意識であり、あやふやになりやすい心の構造を外的事実に無理なく適合させるため、極限まで心の動きを見つめる必要が生じます。
釈迦はその先にしか(少なくとも自分の目指す)心の平安がないと考え、内部の不安やいらだちの元になる原因を探ろうとしました。

内的に一切のごまかしを許容せず、ただただ理知によって問題の超克を目指す。
その結果依存症依存症2の稿でも書いたように適宜報酬系の興奮が惹起され、かつ苦痛を取り除くメカニズムが、脳内認識システム究極の効率化の元に最高レベルで機能する。

現代日本の仏教を批判するつもりもその資格も私にはありませんが、是非この点についての穏当なアプローチが周知されるよう研究が進んでほしいと考えます。

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