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仏教概論36

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仏教概論36

「うちの菩提寺のお坊さんって何だかゴテゴテ着飾っていて、全然宗教家って感じがしません」
個人的には「ああそう」としか思わない反面、仏教は清貧を求めると考える人が結構多くいることに私などはびっくりするわけですが、仏陀たる釈迦がどのように教団を運営していたのかを少し書いてみます。

まず弟子は基本「出家」が必須でありました。
在家の信者というのももちろんいたのですが、「あんたらの所有しているもの、家とかお金とか仕事とか、或いは家族とか愛する人だとか、そういったものはぜーんぶ色々理解し身のうちにするのには邪魔だから捨てないとダーメ」と厳格な修行を求める弟子たちに釈迦は言ったわけです。
所有してよいのは一枚の服(糞僧衣)と鉢ひとつだけ。
これが最低限のサンガ(僧伽)への入会条件でした。
ちなみにサンガというのは修行僧が4名以上集まって出来る「修行のために必要なシステム」で、釈迦が考案し運営に当たっての要綱を細かく規定しました。
特にその内部規定は厳しく、周囲の人間から「聖なる人たち」と言われるように気をつけていたとかいないとか。

もちろんこれは必然性があります。
まず何かを所有すると「所有している自分」というポジションから頭が離れなくなります。
正確には所有している自分というイメージが出来上がってしまうのです。
イメージはさらに他のイメージとリンクを繰り返し、巨大なイメージが出来、安定しているそれは頻繁に使用されるようになります。
多くのデータはここに紐付けて情報化され、情報はここで様々な処理を受けます。
このメインステージたる内部世界は、眠っているとき以外あらゆるデータや情報が行き交い、注意が集中しやすい場でもあります。
何かを感じるのもこのイメージ上。
入ってきた(排除したい)データや情報を排除するのもやはりここ。
つまりここは「主体(これ自体が思いこみみたいなものと釈迦は言う)」と呼ばれる処理場であり、まさしく苦の根源なのだから、それを助長するようなものには近づくな、というわけです。

執着を促す生産活動も当然だめ。
自然になっている木の実をとるのも落ちているものを拾って食べるのもアウト。
食べていいのは「午前中に托鉢にまわって鉢の中に入れられたものだけ」で、ここに入れられたものは原則肉でも何でもOKだったとか。
午前中にもらえなければその日は断食というおまけ付き。

自分の修行(彼らにとっては何より大切なこと)だけをするため、すべての経済活動を禁止し、聖なる(みたいにみえるように釈迦が決まりを守らせた)集団には大甘だった当時のインド社会に頼り切って生きる。
どちらかというと「今すぐにはお金にならないけれど、そのテーマを研究したくて大学や企業にお金を出してもらっている学者」というイメージかも知れません。
或いはパトロン付きの芸術家とか。
本質的には「仏教を学び実践する人たちの集団」はそんな感じで生きていたのです。

ですから彼らは清貧を求め貧乏くさいかっこうをしていたわけではありません。
むしろ他人様に頼って生きるため、それらを支持する余裕のある裕福な人や、彼らが住む都市周辺にしか根付けませんでした。
自らは物を持たないけれど、持っている人の周囲でしか修行を継続できないしくみを釈迦は「これだ!」とルール化したのです。
全く清貧感はありませんね(笑)
持たないことが必要であり、持ったら(或いはそういうふうにしようとしただけで)下手すりゃ追放処分を食らう集団内では、自然と貧乏っぽい格好になっていったのです。

釈迦も弟子たちも当たり前ですが只の人間で、神でも超人類でもありません。
強烈に頭が良く、当時としては画期的なほど“科学的”でしたが、神話になるようなお話ではなかったのです。

釈迦は他人のためとか社会のためとかそんなことはちっとも考えていないおじさんでした。
少なくとも最初の段階ではそうだったのです。
どんな変化があって初転法輪から説教(布教?)などに向かったのかは、私では正確なところはわかりません。
また、今現在日本の僧侶達がどのような在り方を求め、自らの寺院を運営しているのかも今ひとつわかりません。

ただひとつ言えるのは「どちらも只の人間が必要に迫られてあれこれしている」と言うだけで、そこには良いも悪いもなく、生きる上で必然的に発生する「苦」を和らげたり回避したりしているだけなのです。
仏教が救ってくれるとか、その実践者は清貧であるとかはある種の都市伝説のようなものです。
仏教は自らを救い上げるためにある心の解析と実践のためのテキストです。
僧侶は仏陀たる釈迦が示した方法を実践した人たちです。
他に奉仕して清貧を貫いているわけではないのです。

持ち上げず貶めず正しく評価するのは難しいのですが、それこそが釈迦の目指すありようなのです。

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