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マクロビオティック

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マクロビオティックについて

今から20年ほど前、まだ25才くらいの頃ですが、七号正食というのをしたことがあります。
玄米と少量の水分、あとはごま塩を少々という、半断食のようなことを一週間ほど続けるという養生法です。
当時はあまり経験がなかったので「いっちょやってみるか」ぐらいの軽い気持ちで始めたのです。
当たり前ですがきつかったですねえ。
三日目くらいまではそれほどでもなかったのですが、五日目くらいは貧血も相まって動悸はするわめまいは起こるわで、これはまずかも知れないと思い始めていました。
ただ若かったせいか翌日からは体が軽くなるを感じました。
体重は一週間で12kgマイナス(この落ち方はかなりまずいので絶対まねしないでくださいね)、70kgまで落ちました。
ほとんど小学生以来の体重で、会う人会う人に「糖尿病?」と聞かれるくらいのやせっぷりだったようです。
人生で初の痩身を経験したわけですが、他に色々抱えていた問題がクリアになったこともあり、それからしばらくは食養生に注力したりしました。
現在は元に戻っていますが(笑)、なかなか貴重な経験であったことをここに告白します。

この七号正食というのは、その背景にマクロビオティックという思想が存在しています。

石塚左玄に端を発するある種の養生法なのですが、戦前桜沢如一によって一気に拡められたようです。

この世のすべては陰陽のエネルギーによって展開しているという、ある種の完全調和型である陰陽論によって支えられている思想であるようです。
誰でも現実をある枠内で解釈しようとするものなので、その思想があること自体はあまり問題ではないのです。
ただし、マクロビオティックにおいて多くのケースで問題となる事もあります。
それは桜沢という人のキャラクターに多分に関連しているのでしょうが、判断停止状態に陥りやすいという側面です。
最高判断力を持ってその完成を宣言するはずのマクロビオティックが、判断停止状態を招くとは悪い冗談にしか聞こえませんが、実際に多くの人たちがこの問題を抱えることになります。

客観性がない、つまり説明が矛盾無く行われないとき、特に実効性がある程度ある場合「これをやめたらどうなるのか」予想がつかず、もう必要がなくなってもなかなかやめられないことが往々にしてあります。
またその(無理のある)説明は、元々古い世界観をベースにしているため、比較参照が難しいという欠点を構造的に内包しています。
これはわかりやすくいうとどんな議論も「陰陽では~となっている」に収斂するため、それ以外の評価も批評も受け付けないということでもあります。
健康であれば「ここがおかしいと思う」と思えるし言えるのですが、弱っているときはなかなかそれを前面に押し出したりできません。
結果として「ここまで信じてきた方法が不完全だと思いたくない」という内心の焦りが「これは宇宙の真理だ!」と叫ばせることになります。
叫ぶ自分の声がまたテンションを上げ、それによってまた後戻りが難しくなる。

私は冒頭に書いたとおり、マクロビオティックの実効性を体験し、認めている人間です。
しかし仕事柄たくさんの症例を目の当たりにしてきて、その深く考えざるを得ない状況の中でマクロビオティックの問題点にも気がつきました。
もちろん自分の治良、それ以外の方法論に関しても同様に「完全ではない」という認識を強く持たざるを得なかったわけです。

どの方法も当たり前のように完全ではなく、その背景を形作る思想も同様に不完全である。
マクロビオティックについてはあと幾つか書きたいことがありますが、この前提を踏まえた上でお読みいただけるとありがたいです。

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