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なぜ「本当のこと」が知りたくなるのか

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なぜ「本当のこと」が知りたくなるのか

別にそんなことは求めていない。
そうおっしゃる方もたくさんおられるでしょうけど、結構な割合で「自分って何?」という疑問、あるいはそれを知りたがる“欲求”が内部に生じてしまい、悩んでおられる方も少なくないなとワタシは感じています。

動物は常に”今感じていること”の危険度を測っている。
以前情動の稿を含め、いくつかそのようなことを書いた記憶があります。

基本的には私たちの世界は突出したところもへこんだところもいずれ平均化される。
結果として“動きのない”平衡化が訪れる。
これが熱力学第二法則が示すこの世の方向性です。
ただしわかっている範囲での例外は「生物」です。
何がどうなっているのかわかりませんが、自己組織化を繰り返し、死が訪れるその瞬間までエネルギーを消費して(=不安定化を起こして)平衡化に逆らう存在であるわけです。
そうです、なぜか死という永遠の平衡化から逃れる方向性を持っているのが、私たち生き物なのです。

そのために生命維持の邪魔になるモノ、コトを避け、あるいは排除しようとします。
なぜそれがあるのかわからないけれど、生き物の第一原則とでも呼ぶべき圧力から生じた反応群およびその影響を「本能」と言います。
いくつかの例外を除くと、生き物は本能によって「生かされている」といえます。

さてココで上の「危険度を測定している」話に戻ります。
生命維持を邪魔するあらゆる問題から遠ざかるための反応は常時起きています。
ただしこれは非常に緊張=エネルギー消費の増大を伴い、長期的には生命維持の邪魔になり得るモノでもあります。
ポリヴェーガル理論の稿でも書きましたが、安定したシステム運用には「安全と感じられる」様な環境に向かう、あるいはそれを自ら構築して、危険を感じなくてすむところに身を置く必要があります。

一方私たちはその発達した脳という臓器が過去のデータを元に予測を立て、かつ自分の世界観と合致するように最適化を行おうとします。
五感覚(最近は磁気を感じる感覚も確認されたので六感覚でしょうか)を通して得られた「データ」をまとめ上げ、自分の記憶によって成形された「情報」を扱い、反射に依存するだけではない存在が私たち「人間」であるといえます。

同時にこの特殊な臓器を発達させたが故に、情報未満のデータの段階ではこれを取り上げ扱うことがどんどん難しくなっています。
つまり頭で捉えられない、認識不能な「感触」を無視する傾向が強くなっているのが現代を生きる私たちの特徴であるともいえるわけです。

認識とは情報化できたデータとの整合性がとれ、これに意識というスポットライトが当たることだと言ってよいでしょう。
意識という反応、現象は、その発生範囲や速度が狭く遅いため、認識できるのは感じ取っていることのごく一部だけに過ぎません。
言い換えると末端という現場は鋭敏なセンサーを持っていて、これが感知したデータを次々と脳へとあげているのに、経営陣である脳はそのごく一部しか処理できないため、現実からかなり乖離した解析をしていて、結果として出される方針も現実離れしたモノが多いのです。

さてここで表題に戻ります。
要するに私たち大半の人間は、今感じ取っていることがあるのに認識したりイメージして反応に生かせないため、常に「気持ちの悪さ」を抱えているのです。
だから本当の状況を把握したり、ひいてはそれを今この瞬間現に感じている自分という存在の正体を知りたがるのです。
それがわからないと「なんだかわからないけれど不安」を感じてしまうのです。
理由は脳という臓器が意外と無能で、脳内世界と合致できないデータを握りつぶすために起きる「乖離」が起きやすいからです。

食べる眠るの確保という喫緊の問題をクリアした先にある「気持ちの悪さ」は、決して看過できないかつ必然的な悩みであり、先進国で多くの人がこれを解決できないことから重大な問題を抱えてしまうのはごく当たり前といえます。

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